名前も呼べなかった人

文と音楽:田辺マモル

 

「上板橋」と歌ってみたのは思いつきではなく、僕にとってそこは思い出のある駅だからだ。
もう30年以上も前の話になるけれど、埼玉から京浜東北線、赤羽線、東武東上線と、電車を三つ乗り継いで東京の板橋にある高校へ通っていた。

赤羽線は赤羽から池袋までのたった4駅を往復する電車だったのだけど、そのわりにというか、それだからこそなのか、いつも乗車率が200%を超えているような満員電車だった。
そしてそれゆえに痴漢が多かったようで、痴漢電車とも呼ばれていた。

痴漢とおぼしき人物を僕も見かけたことがある。
終点の池袋で吐き出されるようにホームに降りると、その男はすぐにまた乗車の列に並んだ。
落ち着きのないまなざしは何かを物色しているようで、ターゲットを見つけると強引に割り込み、からだをぴったりと押し付けるようにして電車になだれ込んで行った。
きっとそのようにして何往復もしているのだろう。

痴漢被害にあったクラスメート(男子)もいた。
学ランの黒い背中に、白い毛糸のようなものが張り付いていた。
よく見るとそれは精液に違いなかった。
友だちは泣きべそをかきながらティッシュで拭き取っていた。

赤羽線はその後、南北に延長し、名前も変わり埼京線になったけれど、痴漢が絶えないのは相変わらずのようで、ついこないだもニュースで話題になっていた。
線路を逃走する痴漢が出たのもこの路線だ。

いや、痴漢の話がしたかったわけではない。

池袋で東上線に乗り換えて上板橋駅までは、朝の下りの列車になるのでいつも空いていた。
毎朝決まった時間に、同じ車両に乗った。
当時はまだ、エアコンもついていないような古い車両が残っていた。
床は木の板張りで、ワックスだろうか、オイルのような匂いが車内に立ち込めていた。
暑い季節になると、窓はいつも開け放たれていた。
外装はペンキを塗りたくったようなクリーム色で、屋根の部分は黒っぽかったので、僕ら高校生からは笑いまじりに「カステラ」と呼ばれていた。
匂いと暑さと、そして古くささを嫌ってその車両を避ける人もいたので、車内はなおのことガラガラだった。

同じ車両に乗り合わせる女子高生たちがいた。
グレンチェックの制服を着た二人組で、降りる駅も同じ上板橋だった。
詳しくは知らないのだけれど、駅の反対側に私立の女子校があるらしかった。
ふたりはいつも仲良さそうに並んで、僕の正面か、斜め向かいあたりに座っていた。
背の高い方の子と低い方の子。
極端に背が高いわけでも低いわけでもなかったけれど、ふたりとも同じような髪型だったし(三つ編み)、特徴的な顔をしていたわけでもないし、からだの横幅もだいたい同じぐらいだったのでそう書き分けるしかない。

僕はその背の高い方の子に魅かれていたのだと思う。
ジロジロ見たりはしなかったけれど、きっとチラチラとは見てしまっていた。
目が合ってしまうことが何度かあった。
僕のことを二人でヒソヒソと話しているような気がした後は、あえて正面に座るのを避けて視界にかろうじて入るぐらいの遠い場所に座った。
ほとぼりが冷めたころ、また何食わぬ顔で向かいの席に戻った。
けどさすがに毎日向かい合うのも変なので、日替わりで座る位置を変えたりもした。
視界に入らないように車両の同じ側のシートに座って、遠くからかすかに聴こえるふたりの声や息づかいに耳を澄ませたりもした。

話しかけるきっかけもなければ、声をかけてその後にどうしたいというあてもなかった。
どうにかなるという自信も、どうにかするという気概もなかった。
ただ毎朝、姿を見られればラッキー、そしてハッピー、ただそれだけだった。
退屈な高校生活に与えられた僕のたったひとつのラブコメだった。
そう。僕は男子校に通っていた。

高1の春休みが終わって高校2年生になると、東武東上線の車輌は新しいものばかりになっていた。
カステラをまるで見かけなくなった。
ふたりの姿もなかった。
乗る電車を1〜2本遅らせてみたり早めてみたり、違う号車に乗ってもみたけれど、あの二人組を見つけることはできなかった。
もしかしたらとは思っていたけれど、彼女たちは2学年も、たぶん年上だったのだ。
グレーの制服からはもう、卒業してしまったのだ。

電車の窓を持ち上げて春の風にあたりたかったけれど、新しい車両の窓はどうやって開ければいいものなのか、そもそも開けられるものなのかどうかも僕にはよくわからなかった。