同じ景色を見ていても
文:重藤貴志[Signature]
同じ景色を見ていても、一人ひとりの感じ方は異なる。
「綺麗だね」と頷き合っても、僕と君の見え方は違う。
そんな当たり前のことを、ときどき忘れてしまう。
親子や夫婦、兄弟、姉妹のような距離感の近い間柄ほど、
こうした錯覚を起こしやすいような気がするのだけれど、
それはやはり一種の甘えに過ぎないのかもしれない。
自分の気持ちを伝えるには、言葉に託す方法が一般的だ。
たとえば、声に出して話す、文字に書いて記す…。
大抵はどちらかを選ぶことになるだろう。
言葉とは、あらゆる事象を分類して名前をつけたものだ。
コミュニケーションのために共有された膨大な知識でもある。
時代の変遷とともに新たな言葉が次々と生み出される一方で、
いつのまにか使われなくなった言葉は、忘却の彼方へ追いやられる。
残念ながら、言葉は絶対でも万能でもない。
誰もが正しい(とされる)定義を知っているわけでもない。
おまけに、その定義は常に揺れ続け、変化を繰り返している。
隣にいるのに、手を伸ばせば届くというのに、
言葉で気持ちが伝わっているかどうかはわからない。
だからこそ「信じる」ことが大切なのだろう。
自分の発する言葉の行方について思いを巡らせる。
考えれば考えるほど、真夜中に少し怖くなる。