瑕疵のある生き方
文:重藤貴志[Signature]
年齢を重ねるにつれ「知らないことが多すぎる」と思うようになってきた。
経験が少ないせいもあるが、だからといって努力をしているわけでもない。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」を繰り返し、行く先々で恥をかき続けている。
尊敬する両親から教わったはずの事柄が、どうして身についていないのか…。
今すぐタイムマシンに飛び乗り、若い頃の愚かな自分を張り倒したくなる。
冠婚葬祭における振る舞いのような、いわゆる常識に疎いのは恥ずかしい。
「常識」というのは、社会の構成員として持つべき共通認識のことだから、
社会不適合者であるという烙印を押され、笑われても仕方がないとは思う。
本来、一般的に在るべきものが備わっていない状態を表現する言葉に、
手書きでは難しい漢字を二つも使った「瑕疵」という単語がある。
どちらも、傷や欠点、不完全という意味を内包している漢字だから、
あらためて眺めてみると、駄目な私で申し訳ないという気持ちになる。
もちろん、欠点のないパーフェクトな人間になることはできない。
開き直りを承知で言えば、知らない事柄があるのは当たり前である。
その事実を覆い隠そうとして、知ったかぶりで誤魔化すのは止めよう。
無知は確かに恥ずかしい。でも、嘘をつくのは、もっと恥ずかしい。
せめて「わからない」ということが「わかっている」と言いたい