料理歳時記
文:曽根雅典[三軒茶屋nicolas] 絵:佐々木裕
稲妻(エクレア)
『「みんな幸せそうだね。僕だけが不幸みたいだ」
うつろな哀しそうな声に聞こえた。
「そんなことありませんよ。あのカップルたちだってそのうち別れるんですから」
思わず口をついてでたわたしの言葉だった。
いとおしそうにエクレアを食べ、珈琲を飲んで、なんとなく憂鬱な気分で病院のある鎌倉山行きのバスに乗った。』
これは、橋口幸子さんの「珈琲とエクレアと詩人」というエッセイの中の1シーン、詩人・北村太郎さんとの会話です。
エクレアというお菓子は稲妻という意味です。きっと多くの方がご存知だと思いますが、その名の由来には諸説あります。
稲妻は秋の季語です。日本では、稲妻の光が稲を身籠もらせると信じられていたという話がありますが、それはエクレアの名の由来には関係ないのでしょうか。
エクレアには、カスタード、生クリーム、モカクリームと様々あります。中でもモカクリームは、シュー生地や他の生地ではなく、エクレア生地こそがしっくりくる、という気がします。モカを受胎する母体としてのエクレア。
稲妻だけでなく、エクレアの季語も秋だと思っています。枯葉色のコートを羽織って散歩するとき、その手にはエクレアがぴったり似合います。甘くてほろ苦いモカクリームのような言葉が、唇からこぼれ落ちそうになるのを指で拭います。実っても、実らなくても風は秋。