料理歳時記
柿
「その翌る朝、台所の窓から柿の梢を見あげると、青い実一つ残らずみんなもいであって、柿の木の下には、柿の落葉がいっそうたまっていた。
淵子ちゃんが何かひとりごとを云いながら、炭俵の縄で柿の木へブランコを吊っている。おっこちるわよと声をかけると、ねえ、柿の実が天へ飛んでったンですって、だから、ブランコしてもいいっておかあさまが云ったのよと、小さな手で縄を結んでいる。」
アアルトコーヒー庄野雄治・編の「コーヒーと随筆」に、林芙美子さんの「柿の実」という随筆が収められています。
柿の季語は、秋、晩秋です。
料理歳時記を書くようになってから、折にふれて歳時記をめくるのですが、柿の句には庶民の生活を詠んだものが多いのだそうです。それほどに親密だった、人々と柿との関係は、今ではすっかり薄まってしまったように思います。
柿を使った料理といえば、白和えです。水切りした木綿豆腐を粗くほぐして、賽の目に切った柿と練り胡麻で和えます。春菊が入っていてもいいですね。
居酒屋で品書きにあると必ず頼んでしまうぐらい好きなので、なんとかイタリア料理に翻訳してnicolasのつまみで出せないものかと思案したのですが、いまのところはお手上げです。柿と豆腐と胡麻の関係は、あまりにも親密です。
柿の、時代に流されず、その場にとどまる力に憧れます。2017年になっても、柿は、鐘の音や、カミナリオヤジと共に在る。熟れた柿は地面に落ち、時間を止めています。
普段より、ゆっくりとしたスピードで文字を読むと、行間から立ち上がってくる余韻みたいなものを感じるときがあります。それは、SNSを読むようなスピードで読んでしまうと置き去りにしてしまう余韻。
それがきっと、柿です。