料理歳時記

文:曽根雅典[三軒茶屋nicolas] 絵:佐々木裕

蕗の薹

「栴檀の梢に黄色くぶら下った実を、鶫、鵯が、かわるがわるに止ってはついばんでいます。」
これは、辰巳浜子さんの「料理歳時記」、蕗の薹の書き出しの一文です。書かれたのは40年ぐらい前。40年前のふきのとうと、今のふきのとうはおなじものなのかな。
春の山菜は旬が短くはかないようでいて、しっかりと季節に存在を主張し、そのか弱い蕾から、渾身の苦みを放ってきます。ふきのとうの頃は重宝されて愛されても、蕗に育ってしまうとあまり見向きもされないっていうのは、薹が立った年齢になってみると、まるでわが身のようです。育てば育つほどアクが強くなっていき、料理方法も限られてきますしね。

僕は、ふきのとうは、パスタのソースにします。フライパンにお湯を沸かし、チェリートマトを潰して入れたところに、細かく刻んだふきのとうを入れます。ちゃんと沸いたお湯に入れないと、ふきのとうが黒ずんでしまいます。刻んだそばから黒く変色してしまうので、手早く刻んで、手早く入れる。潰したトマトの赤が、ふきのとうの薄緑に染み込んで、淡い春の色になります。
そのソースに合わせるのは、帆立です。ふきのとうの苦みに、帆立の甘みを合わせます。ふきのとうの苦みに、同じ苦みで旬の浅蜊を合わせてもいいですね。帆立の旬の時期は諸説ありますが、今や帆立に旬なんてものがあるだなんて、意識している方もいないでしょう。
長野の実家にいた頃は、まだまだ僕もふきのとうみたいなものだったので、ふきのとうなんて買うものだと思わなかったし、好きでもなんでもなかったのに。東京にきて年をとり、少し高価なふきのとうを食べるときに湧くこの感情は、春を見つけ故郷を懐かしむというよりは、若かりし頃の自分を思い出して苦笑いする、そんな感じかもしれません。