今あるもので十分だ

元来好奇心が無い。無いことはないな、極めて少ない。加齢と共に更にそれは進み、好きな音楽も本もたぶん今持っているものだけで人生を最後まで全う出来そうだ。とはいえ月に何点か購入するのだけれどそれらを手にすることあんまりない。幾度となく読んだ本を読み、聴き飽きている音楽を繰り返し聴く毎日。

コロナ以降イベントも気心の知れた場所にしか行かないし、新規のオーダーも3年以上休止したまま。商業出版からも離脱した。もはや晩年、世界を出来るだけ狭めることに注力している。これは老化や退化ではなく、逆に満たされているんじゃないのかしらと最近思い始めた。

音楽も本も、仕事も人間関係もこれ以上はもういらない。今あるもので十分だ。若いときは闇雲に手を振り回し世界の大きさを確認していた。コーヒー屋を始めたときはとにかく世界を拡張することだけに没頭した。おかげでたくさんの人たちと出会い楽しく生活を送ることが出来ている。

だけど、もういいんじゃないか。コロナ禍、私の頭の中では誰かの声がずっと聞こえていた。たぶんコロナが無ければ私は壊れていたと思う。とうに限界は越えていていつ倒れるかを待つばかり、そんな感じだったと今ならわかる。自分の意志で立ち止まれるほど強い心は持っていない残念ながら。

そして少しずつそれらも減っていくのだろう。怖くはないし、悲しくもない。段々心がラクになっていく。不自由になっていく身体と反比例したほうがいいような気がする。どっちも辛いと大変だ。そんなことを2005年に出されたニューオーダーのアルバムを聴きながら書いている。今あるもので十分だ。