テクノロジーはある地点から、専門家以外には魔法の言葉と区別がつかなくなる

アーサー・Ⅽ・クラークの残した言葉に乗っ取り、私は出来るだけテクノロジーから距離を置くようにしている。というのがlineもzoomも全てのサブスクリプションをやらない理由。テクノロジーによって広がり続ける世界はどんどん世界を狭めていっているように思うのだ。思考したり想像したりする暇を知らぬ間に奪われている。この暇こそがクリエイティブであるにも関わらず。

いろんなジャンルの本を読む。いや、読むように心がけている。この言葉もデジタル関係の本を読んでいて出会った。私はアーサー・Ⅽ・クラークを1冊も読んだことがない。だけどこの言葉と出会ったからには読まないわけにはいかない。そうやって世界は広がっていく。アルゴリズムにそそのかされ自分の好みのものばかり手にしていては決して出会うことがなかっただろう。

坂口安吾を好きになったのは彼のミステリ小説からだし、音楽を好きになったのはたまたま親戚の家に行ったときに聴かせてもらった大滝詠一のアルバムの影響だ。自分から望んだものが果たしてベストの選択なのだろうか。コーヒーが好きです、アアルトコーヒーが好きです、っていう人ほどすぐにいなくなる。全然興味にない人ほど長続きする。ものづくりをする人たちにはきっと身に覚えがあるはず。

これ以上進化しなくていいのではないか。いや、便利になったり機能が増えたり小型化したものを進化と呼んでいいのだろうか。自分にわからない機能を操る人を魔法使いのように思い思考停止する。まんまと術中だ。もしかしたらそれらはほとんどの人類にとって必要のない技術なのかもしれない。そんなこを新しいツールをやらない言い訳にしながら生きている。案外快適だよ。