なんだか最近うるさい。コーヒー買うにも選択することが多すぎる。モノを売るにはストーリーが大切だ。そんなインチキくさいマーケティングの本が溢れていた結果、ナラティブで溢れかえった世界は本来手にしたいものにリーチすることが難しくなった。その結果、生産者も販売者も購入者も疲弊している。
ってお前そんなこと言ってエッセイのような本とか小説のような本出してるじゃないかって声が聞こえる。はい、そうです、その通り。だからこそ言いたい。もういいんじゃないのかしら。って、私は書きますけどね。とはいえ本業のコーヒーについてはナラティブから出来るだけ遠いところでいたいなと。
現代人は情報を食べている、よく耳にする言葉。だけどそれは当たり前のことで決して悪いことではない。ただ情報を自分の頭や身体で判断しないからおかしなことになっていくだけ。有名人がおいしいって言えば流行るって変な話。たとえその道のプロフェッショナルがおいしいって言っても私は違うってことは多々あることだ。
ストーリーはまだいい。終わりがあるから。やっかいなのは自分を一人称に置いたナラティブだ。人生が終わるまで終わらない、いやー辛いなそんな人生。だからアアルトコーヒーのコーヒーには何もない。アアルトブレンドにブラジルにタンザニアなどなだ。ただ名前があるだけ。背景が見えないコーヒー。
メニュが少なく、そのメニュも名前と金額だけ記載されている店が好きだ。残念ながらそういう店はだんだん無くなってきている。寂しいわけではない。仕方がない。人は選択することが自由であり贅沢なことだと思い込まされているのだから。選択しない自由。選ぶことに理由をつけない。それより贅沢なことなどあるのだろうか。