エンターテインメントの話。勤勉であればあるほど個性を殺すことになるような気がしている。そして器用であればあるほどマーケティングの餌食になる。よく出来たものは作ることが出来るし大ヒットとなり莫大な富を得ることも出来る。でも、そういう風になりたかったのだろうか。と全然関係のない場所でいる私は思う。そう、大きなお世話だ。だけど感受するものとして寂しさが募る。ずっとそういうものに助けられてきたからなおさらだ。
勤勉であれば良くできたものを作ることは出来る。だけど、その良くできたものが心を動かすかとどうかは別のこと、とはいえすべてが心を動かすものっていうのも息苦しい。でもねキレイに整えられ瑕疵のないものが溢れすぎているような気がする。もっと歪つで極端な衝動だけのものを欲している、たぶんそれは私でけでないはずだ。高揚したいとか刺激が欲しいとかいう浅はかなことを言っているわけではない。
とはいえビジネスのフォーマットに沿っている限りは技術と構造がすべて、さらに勤勉であることに越したことはない。それは20年小商いをやっているから身に染みてよくわかっている。だけどね、いや、だからこそ思うのかもしれない。そういうところから逸脱する人が増えた方が世界に彩が生まれるって。画一的な社会に飽き飽きしている。そのモヤモヤが社会を陰鬱にしている。もっと「面白い」が充満した欲しい。
とはいえ数字ですべてを計る世界。そんなきれいごと言ってんじゃねえよって声が聞こえる。そう、聞こえる声なんてすべて無視していればいい。多様性っていわれて久しいけれど今が一番均一化されている時代だと思う。人と変わったことをするっていうのではない。ただ自分が好きだと思うことをやる勇気を持てばいい。って、それが最も難しいっていうのはよくわかる。怖いもんな、人の目って。でも大丈夫、そんなやり方で20年続けられているコーヒーロースターもいるから。
ひとつのことをやり続けていると技術は必ずついてくる。逆に言えばどれだけ本を読もうがやらない限りは何にも身につかない。どれだけたくさんの失敗を重ねられるかだ。極端をやり続ければ極端の技術がつく。そしてそれは自分だけの武器となる。そしてそこには少なからずの共鳴してくれる人がいる。そう、大きくなくていいじゃないか。食べていけられたら。って、おかしいな、エンターテインメントの話をしようと思っていたのに(笑)まあ、そんなものだ、思った通りには行かない。そのほうが面白いよね、文章も人生も。